芸術の終着点
私の考える芸術の終着点を述べます。
ある公理系に基づいた新しい世界を作成し、必要に応じてその世界を操作し、その下で起こる様々な事象の単体または複合体を表現物とします。
よりイメージを掴んでもらうために、詳しく説明していきます。
芸術とは
「芸術の終着点」は、どのようなものがなりえるかを知るために、まず芸術の定義を見てみましょう。
Wikipediaによると芸術とは、
表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動を表す。
と書かれています。
音楽の場合
音楽の場合を考えると、以下のように対応していると考えます。
音楽 | |
---|---|
表現者 | バンド、歌手 |
表現物 | 演奏、楽曲 |
鑑賞者 | リスナー、ファン |
活動 | ライブ、音源の鑑賞 |
提唱した芸術の終着点の場合
同様に提唱した芸術の終着点の場合を考えると、以下のように対応していると考えます。
提唱した芸術の終着点 | |
---|---|
表現者 | 新世界の製作者 |
表現物 | その世界で起こる様々な事象の単体または複合体 |
鑑賞者 | その世界の認識者 |
活動 | 表現物の使用 |
イメージ
仮に、私たちも「芸術の終着点」の芸術作品の一部だと考えてみましょう。
仮定
私たちの知る宇宙を創造した存在がいると仮定します。
ここでは書きやすくするため、その存在のことを神様と定義しましょう。
芸術との対応
その場合神が表現者になり、神からするとこの宇宙は表現物の一つに過ぎません。
たとえ神が感情を持っていなくても、私(鑑賞者)はこの宇宙の美しさや他人が作った作品に感動したため、この宇宙は芸術といえるでしょう。
芸術との対応付けは、以下のようになります。
- 表現者:神様
- 表現物:その世界で起こる様々な事象の単体または複合体
- 鑑賞者:私たちの知る宇宙について認識している者
- 神様
- 人間
- など
- 精神的・感覚的な変動を得ようとする活動
- 神様の場合:この宇宙の鑑賞
- 人間の場合:人生
終着点となるのか
最後に、提唱した芸術が終着点となりえるのかについて説明します。
表現の限界
もしこの世界で表現できることでしか表現物を作らなかった場合、いつかは表現できるものは出尽くしてしまいます。
(ここでは、「この世界」を疑似的な計算を行わない場合に限定している。つまりコンピュータなどを用いない場合のことを指す)
例えば現在の多くの楽曲に対しても、同じ音階、つまり12音階を使用しているため、メロディーやコード進行が出尽くしかけています。
このようにいつかは、既にあるものしかなくなると考えられます。
より極端な例としては、この宇宙に存在する物質数よりも、少しだけ大きい物質数を使って、超巨大な絵を描きたいとしてもこの世界では、表現することができません。
疑似世界での表現
そこで新しい芸術を探すことになるのですが、この世界で表現できることは限られてくるので、新しい世界を想像しようという方向性にいかなければ芸術ができない時期がいつか来ます。
そのため私が提唱したものが、芸術の終着点になる可能性が高いと思います。
ただ表現物が尽きるときは、まだまだ先になりそうです。